雑多でいこう!

何でもブログのつもりが結局ゲーム主体になったブレにブレていく脳筋的ブログ

書くことがない時にどうするか迷った挙句

やっぱり書きます。書かねば!

 

とにかく何か書けば「毎日更新する」が達成されるということで今頭ん中空っぽ状態でカタカタッターン!やってるわけですが、インターネッツという壮大なエンターテインメントの海中で、中身のないブログほどムダなものも中々ないなという葛藤にも苛まれつつ、やっぱりキーボード叩いてます。ここまでで10数秒。

 

こういう時、ふと思い出すことがあります。高校時代の恩師が、夢枕に立った時の記憶。

高校1年の時の担任だったT先生。当時数学しか取り柄のない私を、あの手この手を尽くしなんとか平均点まで持ち上げてくれた先生です。2年から違う担任となりましたけど、それからも色々相談に乗ってもらったりして、本当に、本当にお世話になってました。

しかし、私が3年になった頃、持病のぜんそくが悪化して亡くなりました。元々結構なお年だったのもあったのでしょう(60後半とかだったはず)。チョークの粉も結構辛かったようで、たま~に授業が途中から自習になることもありましたから。そこらへんはクラスの皆もなんとなく察していたので、黒板掃除は協力して念入りにしていたのも思い出します。いいクラスでした。みんな元気にしてるかなぁ。

逝去後、当時の1年のクラス全員で、通夜だったか葬儀だったかは覚えていませんが参加して、お別れをしました。身近な、親しかった人間が亡くなるというのは私にとっては初めての経験だったのですが、なんとも言葉に言い表せない、妙な気分でした。無とでも言うんですかね?

 

それから程なくして、先生は私の夢の中に現れました。実は諸々の事情により遅刻魔になっていた私を見かねたのかもしれません。というか一応それなりの進学校だったんですけど、あんだけ遅刻しまくっててよく大学進学できたなと今でも不思議に思います(内部進学とはいえ)。3年の時の担任の先生にも色々ご迷惑をおかけして、というかめっちゃ心配してくれてて。恵まれてたんだなぁ私。

その時に見た夢は確か、周りはうすいもやがかかったような感じでしたが明るく、一面が芝生のような所々よく分からん花が咲いてたりする場所で、特に何も考えることもなく、座り込んでぼけ~っとしてるというものでした。

何かやりたいことがあるわけでもなく、大好きだった数学も全然勉強しなくなり、学校に行くこと自体が億劫だった時期です。なんともまぁ、ありきたりというか、哀しい青春の1ページ()というやつですね。書いてるこっちが恥ずかしくなってくるわ!と無職のおっさんが申しております。

しばらくぼーっとしていると、前の方からすーっと、フェードインするような感じで、先生が当時のままの姿で現れました。ほぼグレーに統一された白髪混じりの七三頭、オーソドックスなデザインの黒セル眼鏡、丁寧に手入れされた口ひげ、グレーのスーツにネクタイ。寝ている生徒にチョークをぶん投げて拍手喝采を浴びていた、あの時のままでした。

 

先生はしばらく私を見続けた後、おだやかな笑顔で、言いました。

 

「自分の信じた道を進めばええんや」

 

今までにない、優しい口調で。

私は号泣しました。とにかく自分が情けなくて、申し訳なくて。あんなに気にかけてもらったのに、結局こんなことになっていて。

先生はおだやかな笑みを浮かべたまま後ろに振り返り、立ち去ろうとしていました。私が何か言おうとして立ち上がろうとした時、目の前にあったのは自分の部屋の見慣れた天井でした。

現実でも、やっぱり号泣していたようで。強烈で、衝撃的で、優しすぎるあの笑顔と言葉は私の脳に焼き付いて離れず、しばらく嗚咽を漏らしながら泣き続けてました。

 

それからも結局遅刻魔は直らず、3年時の先生の計らいでなんとか大学に進学したものの特に何か開眼することもなく、休学まで挟んで盛大に親に心配をかけまくりつつも卒業して就職し、職を転々として今に至るわけです。これがさぁ、心を入れ替えてやりたいことを見つけてなんかかんやで成功して、先生の墓前で「あの時の先生の言葉で、今の私があるんです」みたいな、情熱大陸なんかで取り上げてくれそうな感動のドキュメンタリーになってたら圧倒的ハッピーエンドで「いいね!」4ケタ待ったなしだったんですけど、すばらしく台無しだな!ちなみにこの段落書く前までは思い出し泣きしてました。それくらい焼き付いてるのに、何してんでしょうね私。

 

あの時の倍くらいは歳を重ねてきて、金もなく職もなく実家でホゲェしてる私を見て、先生は何を思うでしょうか。さすがにもう転生してるか。

結局私は、あの時のままのようで。本当、何してるんでしょうね。